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クライアント先に常駐し、ハンズオンでの経営支援 リアルな経営現場でのキャッシュフローの改善を行う / インタビュー前編

株式会社T&INKキャピタル 代表取締役 田中裕

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 プロ野球選手を目指した幼少期
転機は挫折体験によるもの

企業再生及び事業再生のフィナンシャルアドバイザリー業務、M&Aアドバイザリー業務に留まらず、必要に応じて、経営現場でのハンズオンでの実行支援に取り組む(株)T&INKキャピタル代表取締役社長の田中裕氏。中堅中小企業の経営は、大企業の経営よりも難易度が高いことを実感している。

(株)T&INKキャピタルを創業後、実際に田中氏が常駐し、経営現場にハンズオンで関わった案件は、食品製造業(社員60人)、アパレル製造業(社員6人)、洋傘製造業(社員10人)の3社。この規模の中小企業では、企業再生ビジネスとして、報酬が割に合わないのではないか。

「仰られる通り、窮境状況にある企業が再生される時のステップは、大企業も中小企業もある意味似ておりますので、我々アドバイザリーの報酬水準からすれば、割に合わないこともしばしばあります。窮境状況におかれる企業様はそもそもの資金繰りが厳しくなってしまっておられますし。但し、私は学生の頃より日本の国益に資する仕事をしたいと思い、企業再生や事業再生の仕事に関与をさせて頂くことは、それは即ち、国益のためになる仕事だと考えております。そのためには、事業所数、会社で働かれる従業員の方々の数を考えた場合、本質的には中小製造業の活力を引き出すことが重要だと考えています。20代や30代の若い頃は苦労をしてなんぼだと思います」。(田中氏)

現在30代の田中氏は、50歳になったら名実に伴ったプロ経営者として、ひとかどの存在になることを志している。それまでに能力、経験、人格を磨き続けたい意向である。人生は死ぬまで勉強。

その足跡は実に起伏に富み、少年時代から絶えず達成感を追い求め、挫折と挑戦を繰り返してきた。端緒となったのは野球である。両親や周囲のサポートの下、5歳から高校3年まで野球一筋の人生であった。岐阜県の古豪と呼ばれる公立高校の出身であったが、周囲も有能な選手が揃い、高校にとって悲願の甲子園出場に近づいたこともあった。

田中氏は幼い頃からプロ野球選手を目指していたが、対戦した選手で、現在プロ野球の世界で活躍をされている選手と競争するに連れ、「上には常に上がいると思いました。こういう選手がプロに行くのだろうなぁ…と」。その中でプロになるための登竜門である高校3年の大会前に田中氏は自ら招いた不祥事により、プロ野球選手どころか、自らも出場停止となり、人生を賭けてきた野球を続ける権利を失うことになり、自暴自棄の日々を送ることとなる。

一念発起して向かったのは大学受験である。それまで学業は疎かであったため、偏差値は23であった。しかしながら、1日20時間の猛勉強を半年間継続し、偏差値は65に急伸、志望大学に現役合格する。

ロングブラックパートナーズ在籍時に約30件の再生案件を担当

大学入学後は、野球には未練があり、名門の大学でレギュラーを取れそうな自信はあったものの、プロ野球に行けるレベルには達していないと自覚していたので、キッパリと野球とは離れた。

その代わりに大学時代には英語力の習得に専念し、寝ても覚めても英語漬けの日々を送り、TOEICの点数は400点から860点に急伸した。

「世界を股にかけた仕事をしたい」と大手総合商社への就職を志し、世の中の景気が良かったこともあり、総合商社を含む複数の大手企業から内定を獲得。田中氏の郷里に近い豊田通商(株)に入社する。「迷惑をかけてきた両親にとっては自慢の会社に入社することが出来て良かったです」。(田中氏)

米国及び中国向けの自動車部品の輸出入業務、北米電力市場のIPP(独立発電事業者)のM&A買収案件を担当したが、3年目の冬に退職した。田中氏は「日本の大企業において、権限と責任を持ち、本当の意味で意思決定をさせて頂くまでには、どんなに能力や人格に優れていても、部長職になる40代後半や50代の前半まで待つ必要があることに限界を感じました。海外駐在というキャリアを選択することもありましたが、自らの能力と経験を高めていく必要性に駆られていて、私には待てませんでした」と回想する。

転職先で選んだ企業は(株)リクルート。起業家輩出企業と呼ばれる環境の下、人材広告の営業や人材組織コンサルティング業に関る。そして2年後、「プロの経営者となるためには、リアルな経営環境の中、財務会計の足腰を鍛えつつ、必ず負けてしまっているクライアントのみと対峙させて頂きたい」と、事業再生及び企業再生専門のプロフェッショナルファームである、ロングブラックパートナーズ(株)(通称:LBP)に入社する。LBPに3年在籍し、2015年11月に独立開業するのだが、この3年間が田中氏の方向性を決める。

「LBPの上席のパートナーや上司達は、私がそれまでに出会ったことのない仕事が出来る御方達ばかりでした。企業再生及び事業再生領域のコンサルティングファームの同業者は何社かありますが、LBPは成果物の1枚1枚に対してや、金融機関やクライアントと対峙する場面でも、ここまでやるか、というぐらい、圧倒的にこだわり続け、厳しい環境の中で仕事をする会社です。緻密な数字やファクトをベースに、クライアントの現場で、短期間で積み上げますから、正に日本最強の再生専門コンサルティングファームだと思います。私自身は在籍中の3年間に、M&AのFA(フィナンシャルアドバイザリー)業務を含む30件の案件に従事させて頂きました。

企業再生及び事業再生の領域において、プロジェクトマネージャーを務めさせて頂くまでには、業界の先輩方曰く、5年はかかると言われますが、私自身は我が国のトップの環境で鍛えられ、最短でその能力を身につけさせて頂きました。大変有り難いことです」。

インタビュアー

経済ジャーナリスト

小野 貴史

KSG

ヴァイスプレジデント

関 幸四郎

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