M&Aニュース検索

taidan

ビジョンメガネ〜再生の鍵を握る社会的な存在意義「企業再生」最前線 | インタビュー前編

KSG (株式会社経営戦略合同事務所) 代表取締役社長 眞藤健一

株式会社ビジョンメガネ 代表取締役社長 安東晃一

  • 5
  • 2016年5月24日

「GoodEyeCommunicationビジョンメガネ」──。これは昭和40~50年代生まれの関西人で、知らない人はいないといわれるテレビCMのフレーズだ。その広告主が東京の大田とならぶモノづくりの街として有名な東大阪で1976年に創業したビジョンメガネである。メガネの小売りチェーンを展開し、96年頃から関東へ本格進出。2000年には株式の店頭公開を果たした。また、02年のピーク時の年商は175億円に達していた。

しかし、05年頃から「JINS(ジンズ)」「Zoff(ゾフ)」などの新興の格安メガネチェーンが台頭するようになり、厳しい競争にさらされた結果、09年3月期に2期連続の当期純損失を計上。同年3月には上場廃止へと追い込まれる。そして13年11月25日、東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請し、その負債総額は約77億円に及んだ。そこでスポンサーとして名乗りを上げたのが、M&Aアドバイザリーなどの戦略コンサルティングを手掛ける経営戦略合同事務所だった。なぜ自らリスクを取りにいったのか、同社の眞藤健一社長は次のように語る。

「ビジョンメガネは35年におよぶ社歴を積み上げるなかで、民事再生法の適用の申請時においても全国に166の店舗を展開していました。また、110万人にもおよぶ顧客のリストを持ち、そうした顧客の日常生活に大きな影響を与えるメガネやコンタクトレンズの専門知識や、検眼・フレーム調整などの技術を身に付けた従業員が約450名もいました。確かに、そのときは資金繰りなど財務面で苦境に立たされていましたが、再生計画を確実に進めながら貴重な経営資源をフルに活かしていけば、必ず再生に向かうものと確信しました」

この民事再生法の適用申請の時点でのビジョンメガネの社長は、大学卒業後の96年4月に入社し、店員から叩き上げてきた安東晃一氏だった。経営が傾く過程で創業者一族が経営から退き、何人も社長が交代した挙句、気が付くと社長の成り手がいなくなっていた。

「利用していただいている顧客のこと、一緒に働いてきた従業員、そしてその家族のことを思うと、誰かが社長を引き受ける必要がありました。かといって、部下に任せるわけにはいきません。そこで取締役だった私が手をあげたわけです」と安東社長はいう。

その安東社長と初めて会ったときのことを眞藤社長は、「サラリーマン経営者にもかかわらず、会社の債務をあたかも自分個人の債務のようにとらえ、金融機関や取引先などの債権者に平身低頭しながら真摯に対応していました。その姿を見て、ビジョンメガネを再生させたいのだと心の底から考えていることがよくわかりました」と振り返る。

そうした安東社長の経営者としての心の支えとなっていたものが、各店舗から毎日送られてくる顧客のアンケート用紙だった。少ないときでも1日に100枚。多いときには200枚を数えることもあった。ビジョンメガネの苦境を新聞などの報道で知ったのだろう、何枚もの用紙に「応援しています」という言葉が綴られていたそうだ。また、店舗での接客のよさに対するお褒めの言葉も数多くあったという。それゆえ「何がなんでも会社を再生させる」という思いを安東社長は強めていったのだ。

_DSC9552

実は、そこに眞藤社長はビジョンメガネの「社会的な存在意義」を見出す。「1つひとつの店舗が地域にしっかりと根づき、信頼関係で結ばれていた数多くの顧客から存続が強く望まれていました。取引先であるフレームやレンズなどのメーカーも、そうしたビジョンンメガネだからこそ信頼して自社の製品を委託し、応援しようとしてくれていたのです。それだけビジョンメガネは社会的な存在意義があったわけで、再生の道筋も自ずと見えてきます」と眞藤社長は話す。

企業再生というと性急なリストラクチャリングで目先の利益を追うように思われがちだが、眞藤社長はあくまでも「自然体」で臨んだ。どういうことかというと、人材や店舗などビジョンメガネの強みや良さをできるだけ大切にしながら再生を進め、その結果として利益が出ればいいと考えたのだ。ここに経営戦略合同事務所によるビジョンメガネの企業再生の大きな特徴がある。

後半に続く